今こそ「素問」から学ぶ、本当の人間の生き方🍃
「素問」とは、鍼灸師だったら読んでおきたい、自然に合わせた生き方や、体のこと、病気のこと、その発生と治療の仕方など、伝統医学を理解する上で欠かせない様々な内容が綴られています✨
後半は人間の体の流れや治療のことでかなり難しいのですが💦前半は大変わかり易く、日常を生きる上で大変役に立つ内容が綴られているので少しご紹介✨
そもそもこの本は「帝王」と呼ばれる人物と、その師である「岐伯」と呼ばれる人物との掛け合いでお話が進んでいきます。
本の冒頭では、このような質問からお話が始まります。
皇帝:
「余はかねがねから大昔の人々は、年をとって百歳を超えてもまだその動作が衰えることがなかった、と聞いている。ところが、今どきの人民共をみると、五十歳にもなればもうよぼよぼして来るが、これは一体どうしたわけだろうか?時代によって天地の及ぼす影響に異なるところがあって、そのために人間の寿命に差がでてきたのだろうか?それとも、人民共の不摂生が原因となって、かくも短命なのであろうか?」
これに対して、
岐伯:
「大昔の人々の中で、養生の道理を弁えた者は、天文暦数を心得て春夏秋冬の天の気に調和し、飲食に節度があり、起き臥しに決まりをつけ、妄りに心身を過労させることがないというわけで、肉体も精神もともどもに調和がとれていました。そのために百年の寿命を全うすることができたのでります
ところが今どきの者共はそのような理にかなった生活をしておらず、酒をがぶがぶ飲み、心身を過労させることを日常茶飯事としている。情欲のままに精力を消耗し生の泉の真気を失っている。生活態度が全く無節制でありますので、五十歳にもなるともう、よぼよぼに老化してしまうのであります」
〜というお話に続き、締めくくりにおいては
岐伯:
「およそ、心を静かにして、むやみやたらな欲望をおこさなければ、生の泉である真気はその人の体内を隅なく巡り、身体を正しく運営することができます。このようにしていれば五臓は充実して、体内をがっちりと防衛しておりますならば、病を起こさせる外邪など、どこからどうして侵入することができますでしょうか?
ですから、何がなんでもやらねばというような、度をこえた気持ちをおこさずにのんびりとして、欲望は少なくし、心を安泰にして物事に動かされることなく、何事も怖れず、また、肉体労働をしてもくたくたに疲れ果てるような無理をしないというようにすれば、営気、衛気ともに順調に体内を運行できるのであります。つまり欲望が少ない人は、心がいつも満足の状態であり得るわけでございます。
そうなりますと、摂られた食物は、それで、ああ、おいしいなあ、と心に満ち足りますし、服装は得られただけの衣類で不足と思わず、それぞれの境遇に甘んじて楽しく暮らし、身分の上下の者共が互いにその地位と生活をうらやむことがなければ当然、上は下をいためることなく、下は上をないがしろにすることもなく、その結果として、社会は円満に治るものであります。
そうあれば人民共の心根は真に素朴であることができます。このような社会でありますと、人民共はどんな誘惑にも負けることなく、うらやましいようにみえる見掛けの上のどんな楽しみも、その心をまどわすことはできません。」
このような内容で、お話はさらに深く掘り下げられ進んでいくのですが、この本が書かれた時代は紀元前100年頃の中国と言われていて、日本で言うと弥生時代中期にあたります。
こんな大昔から「最近のものは不摂生だ」「生活態度が乱れ、心身のバランスが取れておらんものが多い」と言われていたことに驚きです👀
そして私たち現代人もはっとさせられるような岐伯の言葉が次々に登場します
これまでの時代は、右向け右!!!仕事や勉強、努力は人よりも沢山したほうが偉く、財産や土地は多く持ってるものが強く、皆がそこを目指して頑張っただけ成果が得られる時代でしたが、(心身の疲労とは裏腹に)これからの時代は人と比べたり、競るのではなく「自分にとっての一番の幸せ」「自分に一番適しているもの」を中心に、自分のペースでゆっくり歩いていく時代になるので、岐伯の言う本当の生き方が実行しやすい時代になると私は思います🌷
そして岐伯が繰り返し言う「自然をよく観察して、自然と歩調を合わせて」と言うことも大変重要なキーワードですね🌱